国産で言えば昭和の終わり頃から平成初期の年代の車輛までは過剰に製作されていて贅肉の部分が多いです。その分強度もあり余裕がありますし今でもしっかりと動きます。バブルの頃の半導体しかり、マテリアルの質しかりです。そして開発が平成のその後の年式ではギリギリで作られています。その違いは何なのか?これは世界的にも同じ事なのですが特に国産車はコンピューターの普及と関りがあり、パソコンで理論的に設計された年式の車輛はよく言えばピッタリサイズ、悪く言えば余裕が無い作りになっていると言わざるを得ません。丁度その頃から世界的に材料の取引でもコンピューターの普及に合わせて価格が大きく動き、スチールの質や銅の価格高騰が叫ばれていてコストカットが...と嘘の様な本当の話です。その頃から自動車メーカーもコストがかけられなくなってきてターボエンジンの消滅やFR駆動の最小化、様々な時代の変化はコンピューターの発達と同様に並行して進んでおります。そして次はAIの時代到来です。メーカーは特別な車輛を製作するのではなく最適解の車輛を造る。データには逆らえませんし、それこそチャレンジングな事は株主が許しませんし出来ません。メーカーの技術を競う時代はとっくに終わりエンタメとしてのレースも市販車ベースではなくなっています。市販車ベースのWRC等はもう自動車メーカーは殆ど出る必要がありません。だからこそ素晴らしい品は国産で言えば当時の品なのだなという納得の理由です。日本の経済そのものを反映した基幹産業である自動車業界は日本という国と共に進む。
0コメント